交響曲、大好き!

交響曲といっても知られていないものも多いと思います。 皆さんが聞きなれた/聞いたことがない交響曲を紹介していければと思います。

チャイコフスキー 交響曲第2番

今回はチャイコフスキー交響曲第2番についてお話します。

 

交響曲第2番は、チャイコフスキーが1872年に作曲した交響曲です。愛称は『小ロシア』。チャイコフスキーの作品の中では非常に陽気な楽曲の一つで、初演後ただちに成功を収めただけでなく、ミリイ・バラキレフ率いる「ロシア五人組」からも好評を勝ち得ました。しかし、それから8年後にチャイコフスキーは大幅な改訂を施し、第1楽章をほぼ完全に書き換えるとともに、残る3楽章にも多くの変更を加えました。

チャイコフスキーは3つのウクライナ民謡を本作に用いて、非常な効果を挙げています。このために、当時のモスクワの著名な音楽評論家ニコライ・カシュキンから、「小ロシア」という愛称を進呈されることとなりました。

 

1872年の6月から11月にかけて作曲されましたが、ほとんどは夏の休暇に、チャイコフスキーが(カメンカこと)ウクライナのカムヤンカに妹アレクサンドラ・ダヴィドヴァを訪ねた折に書き上げられました。8月に急いでモスクワに戻ると、チャイコフスキーモスクワ音楽院での日課(教職)や音楽評論家としての活動をこなしつつ、熱心に本作に取り組みました。弟モデストの手紙にすぐ返信できなかったことを詫びてチャイコフスキーは、「(交響曲に)夢中になってしまったので、他のことに取り掛かれる状況ではなかったんだよ。(コンドラチェフ曰く)この『天才の仕事』は完成間近だ。(略)形式の完成度に関しては、自分の最高の作品だと思う。」と書きました。2週間後にチャイコフスキーは大急ぎで交響曲を仕上げ、さらに1週間後に完成させました。

チャイコフスキーの本作における民謡素材の利用については、伝記作家ジョン・ウォーラック(John Warrack)がまったく意外なことではないと述べています。もう一人の伝記作家アレクサンドル・ポズナンスキーによるとダヴィドフの地所は、当時すでにチャイコフスキーのお気に入りの隠れ家になっていたといいます。ウォーロックは、「チャイコフスキーがカメンカや、妹に進言されてその地に構えた別邸に温もりを感じていたことは、交響曲に地元の歌を用いるという発想に姿をとりました」とも付け加えています。

チャイコフスキーはかつて冗談で、『小ロシア』の終楽章が成功したのは、自分自身の手柄ではなく「作品の真の作曲者ピョートル・ゲラシモヴィチ」のお蔭というのが真相なのだと述べたことがあります。ゲラシモヴィチは、ダヴィドフの家の年長の使用人で、チャイコフスキーが本作に取り組んでいる間、作曲家に民謡『鶴』を歌って聞かせたそうです。

チャイコフスキーのお気に入りのアネクドートの一つに、『小ロシア』の草稿を失くしかけたという経験談があります。チャイコフスキーは弟モデストと旅行中に、頑固者の駅馬車仕立て人を説き伏せて、馬を馬車につながせようとしました。旅行の間チャイコフスキーは、「皇帝の側近ヴォルコンスキー大公」の振りをしたそうです。

チャイコフスキーはモデストと夕方までに目的地に着くと、旅行鞄が見当たらないのに気付きました。そこには制作中の交響曲も含まれていたのです。チャイコフスキーは、駅馬車仕立て人が鞄を空けて、自分の身辺を調べたのではないかと訝りました。そこで旅行鞄を取りに仲裁者を遣わしました。仲裁者が戻って来て言うことには、駅馬車仕立て人は「ヴォルコンスキー公」のような貴人の荷物は、本人以外の目の前で空けませんということでした。

チャイコフスキーは強い決意で戻りました。旅行鞄は開かれておらず、おおかた安心しました。チャイコフスキーはしばし駅馬車仕立て人と鄭重に話し込んでいて、ひょんなことから駅馬車仕立て人に名前を尋ねた。駅馬車仕立て人は答えた。「チャイコフスキーです。」チャイコフスキーは呆気に取られ、たぶんこの返事は、駅馬車仕立て人の側の抜け目のない仕返しに違いないと思い込みました。結局チャイコフスキー姓は駅馬車仕立て人の実名だったそうです。この事実を知ってからというもの、チャイコフスキーはこの話を人に聞かせては喜んでいたといいます。

 

第1楽章 Andante sostenuto - Allegro vivo - Molto meno mosso

アンダンテ・ソステヌート - アレグロ・ヴィーヴォ、序奏付きソナタ形式
ホルン独奏がウクライナ民謡「母なるヴォルガの畔で」("Вниз по матушке, по Волге")のヴァリアンテを奏でて、楽章の雰囲気を規定します。チャイコフスキーはこの旋律を展開部にも再導入し、ホルンは楽章の終結部において今一度その節回しを歌い上げます。どちらかというと勇壮な第2主題は、リムスキー=コルサコフが演奏会用序曲『ロシアの復活祭』で用いた旋律を利用しています。呈示部は、主題の近親調変ホ長調で締め括られ、そのまま展開部になだれ込みます。展開部では2つの主題が聞こえます。長い保続音によって第2主題に引き戻されます。異例なことにチャイコフスキーは、展開部において第1主題を完全な形で繰り返すことをしておらず、その代わりにコーダに第1主題を持ち込んでいます。

 

第2楽章 Andantino marziale, quasi moderato

アンダンティーノ・マルツィアーレ、クヮジ・モデラート、三部形式
元来はオペラ『ウンディーネ』の結婚行進曲として作曲されました。中間部に民謡「回れ私の糸車」("Пряди, моя пряха")を引用しています。
なお、後に『ハムレット』の劇付随音楽にも流用されています。

 

第3楽章 Scherzo. Allegro molto vivace - L'istesso tempo

スケルツォアレグロモルト・ヴィヴァーチェ - トリオ 、三部形式
ダ・カーポ形式のスケルツォで、トリオ(中間部)とコーダを伴っています。速足で慌ただしいこの楽章は、本当の民謡を引用してはいないが、全般的な性格において民謡風に響きます。

 

第4楽章 Finale. Moderato assai - Allegro vivo - Presto

フィナーレ:モデラート・アッサイ - アレグロ・ヴィーヴォ、ロンド・ソナタ形式
短いが悠々としたファンファーレの後に民謡「鶴」("Журавель")が引用され、これが第1主題となり、手の込んだ色とりどりの変奏へ進行し、クライマックスを築いていきます。第2主題は変イ長調でヴァイオリンで提示されます。コデッタでは第1主題が再びクライマックスを築きます。展開部は弱音でオーボエが第1主題の変形を奏して始まり、フルートとヴァイオリンに第2主題が出ると、両主題が絡み合いながら発展します。第1主題が徐々に支配的になってくると、そのまま再現部へと移行します。第1主題が展開的に再現されると、すぐに第2主題、コデッタも続きます。最後はプレストのコーダで大きくクライマックスを築いて締めくくられます。

 

さて、かずメーターですが

第一楽章 89点

第二楽章 88点

第三楽章 86点

第四楽章 88点

です。とてもお勧めな曲です。チャイコフスキーって交響曲第2番ですでにレベルの高い交響曲となっています。前出のドヴォルザークの第2番と比べるとやはりチャイコフスキーの凄さがわかります。

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