交響曲、大好き!

交響曲といっても知られていないものも多いと思います。 皆さんが聞きなれた/聞いたことがない交響曲を紹介していければと思います。

ボロディン 交響曲第2番

さて、今回はボロディンの第2番についてお話します。

ボロディンって『ロシア5人組』の一人とか書いてますがどんな『組』なんだよって思いますよね。まずはこの件に関しまして書いてみます。

ロシア5人組は、ミリイ・バラキレフを中心として19世紀後半のロシアで民族主義的な芸術音楽の創造を志向した作曲家集団のことをいいます。次の5人からなります。

ミリイ・バラキレフ(1837年 - 1910年)
ツェーザリ・キュイ(1835年 - 1918年)
モデスト・ムソルグスキー1839年 - 1881年
アレクサンドル・ボロディン1833年 - 1887年)
ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844年 - 1908年)
1860年代において、指導者にあたるバラキレフはピアノの名手として知られた音楽家でしたが、残りの4人はアマチュアでした。

ロシア5人組は、ロシア語ではМогу́чая ку́чка(モグーチャヤ・クーチカ)といいます。直訳すると「強力な集団」ぐらいの意味ですが、「クーチカ」には二義的に、「集まり」「重なり」の意味もあります。1867年に芸術評論家のウラディーミル・スターソフによってこのように命名され、5人の共通理念は、反西欧・反プロフェッショナリズム・反アカデミズムを標榜することと定義されました。

上記の1867年のスターソフの文章の時点では、「クーチカ」はバラキレフをリーダーとする一団を指し、必ずしも5人とは限りませんでした。バラキレフと関係する他の作曲家、たとえばA.グッサコフスキーやN.ロディジェンスキーらも含まれていたと思われます。「5人」であることを明言したのは、バラキレフチャイコフスキーに『ロメオとジュリエット』を讃える手紙(1870年)の中で、スターソフが「5人でなく6人になった」と言った、と書かれています。しかしチャイコフスキーは常に5人組とは距離を置いていたそうです。

 

さて、交響曲 第2番は、ボロディンが歌劇『イーゴリ公』と同じく1869年に着手された交響曲です。この2曲の作曲は長引いて手間取ったそうです。ボロディンは、オペラにするつもりで準備済みであった素材のいくつかをこの交響曲に転用し、曲調と音色の結びつきを強めました。

交響曲が1877年になって完成すると、ボロディンはこれを「勇者Épique 」と呼びました。実際のところこの作品は、とりわけ第1楽章において、峻烈な勇壮さで貫かれており、第1楽章の「勇壮な」主題が作品中を循環しています。その他の楽章も典型的なロシア風の色彩に染められています。特にアンダンテ楽章は旋律が優れており、休止なくフィナーレへとなだれ込みます。

1877年にエドゥアルド・ナープラヴニークの指揮によってサンクトペテルブルクで初演されましたが、真の成功には程遠かったそうです。その後ボロディン管弦楽法に多少の手を入れ、1879年にリムスキー=コルサコフの指揮によって初演されると、今度は成功することができたそうです。1882年には交響曲第3番の作曲に着手しましたが、これは歌劇『イーゴリ公』と同じく、作曲者の死により未完成のままで遺され、どちらもリムスキー=コルサコフグラズノフの手により補筆・完成されることになりました。

 

第1楽章 アレグロ

ロ短調ソナタ形式 重々しい第一主題から始まり、第二主題は雰囲気が変わりチェロによって美しく奏でられます。 小節番号の163(スコア内でいくとF)からは、ティンパニのソロが入っています。 弦楽器にはダウン指示が多い。

第2楽章:スケルツォ プレスティッシモ

ヘ長調、トリオはアレグレット、ニ長調 主部は1/1の拍子です。

第3楽章 アンダンテ

変ニ長調三部形式 第4楽章(フィナーレ)にはアタッカでつながります。

第4楽章:フィナーレ アレグロ

ロ長調ソナタ形式 弦、木管ファゴット以外)は主にメロディを担当。ファゴット金管は伴奏やメロディの土台部分を担当 。打楽器は、結構目立つパートが多い(特にティンパニとタンブリン)。 この楽章にも弦のダウン指示があります。

 

さて、かずメーターですが、

第一楽章 84点

第二楽章 78点

第三楽章 80点

第四楽章 81点

第2番の方が第1番より人気があるようですが、私は第1番の方が好きです。全体的にはいかにもロシアっぽい音楽で迫力も第一楽章では十分あります。なので第二、第三楽章がちょっと…という感じです。

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お勧めのCDです。