交響曲、大好き!

交響曲といっても知られていないものも多いと思います。 皆さんが聞きなれた/聞いたことがない交響曲を紹介していければと思います。

マーラー 交響曲第9番

さて今回はマーラーの最後の交響曲、第9番についてお話したいと思います。

実は、この曲交響曲としては第10番目の曲なんです。第9番の前に『大地の歌』という曲があり、この曲を交響曲に含めてカウントしています。

なぜかクラシックの交響曲って第9番を書くと亡くなるというジンクスがあって(ベートーベンやドヴォルザークなど)、マーラーはびびっていたらしく(というか精神的に病んでいたようです)、第9番の前に『大地の歌』を挟んで神様か悪魔を混乱させようとしたようです。

しかし、マーラー交響曲第10番を執筆中に亡くなってしまいます。

演奏時間約70~90分。

 

交響曲第8番、『大地の歌』とつづいた声楽・歌曲との融合から、マーラーはこの曲では再び純器楽路線に立ち戻っています。4楽章構成で、第1楽章がソナタ形式に従って書かれているなど、古典的な交響曲としての要素を持ちます。その一方で、両端楽章にテンポの遅い音楽を配置し、調性的には、第1楽章はニ長調であるが、第1主題が常にこの調と結びついていて、展開部などでも移調されないこと、最終楽章がこれより半音低い変二長調で書かれているなど、伝統的なスタイルからの逸脱も多いです。

この曲は、なんらの標題も用いられていないにもかかわらず、全曲が「別れ」や「死」のテーマによって貫かれていることが印象づけられます。その理由として、終楽章の最後の小節に、マーラー自身がersterbend(死に絶えるように)と書き込んでいることがあります。 また、この曲でマーラーは、過去の自作、他作から多くの引用をしていて、これらが過去の追想や別離の気分を高めています。引用は、これまでのマーラー作品でも部分的に見られたものですが、第9番では、それが体系的といえるほど多用されています。引用の手法も単純でなく、ひとつの素材が変形されるなかで、引用された音楽との間で多様な連関を想起させるものとなっており、同じ進行の繰り返しを徹底的に避けるマーラーの作曲技法とひとつに重なっています。こうした手法は、後の1960年代後半から1970年代にかけて流行したコラージュ音楽の発想の原型とも見られています。

この引用を含めて技法的には、これまでの諸作品の集大成であることを超えて、新たな境地を開こうとする意欲が認められます。多くの場合、音楽とテーマの普遍性、独自性、書法の大胆さ、表現の崇高さなどにおいて第9番はマーラーの最高傑作と見なされています。このため、演奏・録音機会が多いだけでなく、指揮者やオーケストラがなんらかの節目や記念的な行事の際の演奏曲目としてしばしば採り上げられます。

 

第1楽章 Andante comodo アンダンテ・コモド 自由なソナタ形式

チェロ、ホルン、ハープなどが断片的に掛け合う短い序奏によって曲は開始されます。ここでは、シンコペーションと歩むようなリズムが扱われ、全曲を統一する有機的な素材となっています。シンコペーションのリズムには、マーラーの心臓の鼓動、不整脈を表すという解釈があります。これに続き、第2ヴァイオリンがため息のように2度下降する動機を演奏します。これが第1主題で、この動機は、前作『大地の歌』の第6楽章「告別」の結尾で歌われた「永遠に」(ewig)という音型の引用によっています。この動機は、自作の歌曲(『さすらう若者の歌』)や交響曲交響曲第3番第4楽章、交響曲第4番第3楽章など)で見られるもので、他の楽章でも現れ、統一的に用いられます。

この主題を中心として歌うような曲想が続くが、ホルンの2度下降動機からニ短調に転じ、管の和音と共に第1ヴァイオリンが半音階的に上昇する主題を演奏します。これが第2主題です。

この主題が悲痛に高揚した後、ヴァイオリンの高音部に2度下降動機が再び出ます。もう一度高まって、金管に半音階的に下降する動機が繰り返されると、提示部の変奏的かつ発展的な反復となります。第1主題、第2主題ともに発展し、「死の舞踏」を思わせます。ハープの印象的な動きに導かれ、金管の半音階的に下降する動機が発展し、情熱的に呼びかけるような主題が弦と金管に現れて盛り上がります。この主題は、自作の交響曲第1番の第4楽章、第2主題からの引用で、この楽章ではいわば第3主題のような役割を果たします。ここで初めの頂点に達するが、音楽は暗転し、展開部に入ります。

冒頭と同じテンポになり、静かで暗い雰囲気の中、序奏が回想されます。これに引き続き、しばらく第1主題が暗く扱われますが、ハープの響きから気分を整えて第1主題の変形が現れます。ここではヨハン・シュトラウス2世のワルツ『人生を楽しめ』が引用され(マーラーは自筆譜のこの部分に「おお若き日! 消え去ったもの! おお愛! 吹き消されたもの!」と書き込んでいます)、さらにベートーヴェンピアノソナタ第26番「告別」との関連も示唆されています。

穏やかな曲想が続いていきますが、徐々に動きを見せ、テンポはアレグロ・リゾルートとなり、金管の半音階下降動機や第3主題、トランペットのファンファーレ(交響曲第1番、交響曲第7番第1楽章などからの引用)が重ねられて力を増します。トライアングルが動きを遮るように強音でトレモロを出しますが、序奏の歩みのモティーフがティンパニによって強打され、音楽はさらに凶暴さを増し、狂おしくなっていきます。頂点で第3主題が強烈に吹奏され、輝かしいクライマックスを築きますが、急速に落ち込みます。

ここから曲はテンポを落とし、第2主題に基づいて陰鬱な気分で進む。変形された第2主題の情熱的かつ不気味な展開が続いたあと、2度下降動機や半音階的に下降する動機が静かに演奏されていきますが、次第に落ち着いてきて再び第1主題の変形が現れます。ここから3度目の頂点へと高揚していきます。第1主題が高揚していき、第3主題が叫ばれると、それに続き「より動きをもって(Bewegter)」と指示される部分に入ります。大きな起伏を持って何度も頂点を築き、第1主題が輝かしく叫ばれるも、不協和な響きのなか引きずられていくように落ち込みます。それに続いて「最大の暴力で(mit höchster Gewalt)」と指示され、銅鑼が強打され、トロンボーンシンコペーションがすべてを遮るように吹き鳴らされます。歩みのモティーフがティンパニによって強烈に打たれ、もう一度シンコペーションが吹かれた後、葬送行進曲風の経過部となります。ここでは序奏の変形を扱っていますが、歩みのモティーフが鐘によって演奏されることで、初めてこれが葬列の鐘を模したものであったことが明かされます。

この後、「最初のように(Wie von Anfang)」と指定された再現部となり、第1主題がかなり自由に再現し、高まった後、第2主題が暗示されます。

ここで曲は一転して、「突然著しくゆっくりと、そして小さく(Plötzlich bedeutend lamgsamer(lento) und leise)」と指示された、各楽器の掛け合いによるカデンツァ風の部分となります。もう一度第2主題が姿を見せますが、荒々しさは消えており、ハープの動きによって導かれる第3主題も残照のようなホルンの響きに変わります。フルートが高いところから次第に降りてきて、静かになった後、コーダに入ります。

コーダでは、独奏ヴァイオリンと木管の対話から2度下降動機が柔らかく繰り返されて、最後に弦の高いフラジョレットが楽章を結びます。

演奏時間は約25-36分程度。

 

第2楽章 Im Tempo eines gemächlichen Ländlers. Etwas täppisch und sehr derb 緩やかなレントラー風のテンポで、いくぶん歩くように、そして、きわめて粗野に  付点リズムを伴う序奏のあと、3つの舞曲がABCBCABAという順序で入れ替わり現れる。

Aは弦のトリルを含む民族舞踊的な旋律ですが、ファゴットの音階的に上昇する動機や木管の2度下降動機が絡みます。指示通りレントラー風に進んでいった後、Bを導きます。

Bはホ短調で速度を上げて活気づきます。時折2度下降動機をはさんでかなり土俗的で諧謔的な雰囲気になります。付点リズムの動機も挟み、曲は一旦暗転しかけますが、すぐに穏やかになり、Cを導きます。

Cはヘ長調で穏やかなものです。2度下降の動機によって成り、Aの要素も顔を出します。若干暗い影を落としかますが、また穏やかになり、つづいてBが再現されます。

Bが展開風に扱われ、またもや暗転しかけるが、再びCとなる。2度下降動機が大きく歌われ、第1楽章の面影も見せますが、Aが再現されます。

Aは次第に暗い影を深刻に落とし始め、死の舞踏の様相すら呈し始め、楽章のクライマックスに導きます。陽気な動機と陰気な動機がぶつかり合い、狂乱状態となったあと、Bが再現されます。

Bが収まると、序奏の素材に導かれてAが再現され、暗い影を落としつつも次第に穏やかになってゆき、静かに楽章を結びます。

演奏時間は約12-16分程度。

 

第3楽章 Rondo-Burleske: Allegro assai. Sehr trotzig 「ロンド=ブルレスケ」アレグロ・アッサイ きわめて反抗的に

「ブルレスケ」とは「道化」を意味します。草稿には作曲者自身の「アポロにいる私の兄弟たちへ」の書き込みがあります。

おおまかにABABC(中間部)Aという構成です。トランペットの信号音とAの断片による短い序奏のあと、力強くAが開始されます。

Aは多声的で、自作の交響曲第1番第3楽章及び第4楽章との関連が指摘されます。

Aのリズムを持って移行することによって、2/4拍子でユーモラスな副主題の役割を果たすBが現れます。

この両者がフゲッタ的に組み合わされて曲は進行し、レハールの『メリー・ウィドウ』や交響曲第3番第1楽章からの引用を交えながら、快活だが皮肉な雰囲気で曲は進みます。

Aの盛り上がりの頂点でシンバルが打たれ、Cが導かれます。ここでは、回音(ターン)音型を含む、なめらかな動機とホルンの6度跳躍上昇の動機が組み合わされるうちに雰囲気が一変し、ニ長調でトランペットが柔らかく回音音型を演奏します。

クラリネットなどを主にして、徐々にAの動機が皮肉な調子で戻ってきますが、ハープの動きでCと頻繁に交代します。大太鼓の弱音のトレモロによってAが支配的となり、完全にAの動機が帰ってきたあと、速度を上げて狂おしく盛り上がり、最後はストレッタ的に急迫します。

演奏時間は約11-15分程度。

 

第4楽章 Adagio. Sehr langsam und noch zurückhaltend アダージョ。非常にゆっくりと、抑えて

基本的には2つのエピソードを持つABABA+コーダの形式ですが、同様な繰り返しが避けられており、絶えず表情が変化しているため、形式感は判然としません。交響曲第3番の終楽章もアダージョで、構成的にも対応が見られます。2つの主題に基づく変奏曲とする解釈もあります。

第3楽章で見られた回音音型(ミ・ファミレ♯ミ)を含む、弦の短い序奏で始まります。ここでは、ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』から「愛の死」が引用されていると見られます。また、ブルックナー交響曲第9番の第3楽章冒頭主題との関連性も指摘されています。

ヴァイオリンの主要主題は2度下降動機で始まり、回音音型に至ります。各声部で回音音型が繰り返されます。ファゴットの低いモノローグを挟んでホルンが主要主題の前半を歌います。

第1のエピソードは、高弦と低弦によって、ファゴットのモノローグが拡大されたような音楽が演奏され、薄明るい印象を残します。ヴァイオリン独奏や木管に2度下降動機が現れます。

ホルンが再び主要主題を出して、弦楽によって感動的に高まりますが、次第に重苦しくなります。再び独奏ヴァイオリンと木管が現れて緊張が解けます。

第2のエピソードは、ハープの単純なリズムのうえに木管が淋しげに歌います。

弦、金管が加わってきて、主要主題となり、大きくクライマックスを築きます。ここでは主要主題はほとんど形を失って、回音音型で覆われます。そしてヴァイオリンの高音に、第1楽章冒頭動機のシンコペーションが反復された後、再び主要主題が詠嘆的に大きく形を変えて再現されます。

この後もう一度大きなクライマックスを築くが、徐々に主要主題は形を変え、断片的になっていきます。

ヴァイオリンが『亡き子をしのぶ歌』第4曲「太陽の輝くあの高みでの美しい日」を引用します。その後、回音音型が導かれ、徐々に力を失い、休止のあとアダージッシモのコーダに入ります。

最後の34小節は、コントラバスを除く弦楽器だけで演奏されます。回音音型を繰り返しながら浮遊感を湛えつつ、「死に絶えるように」最弱奏(ピアニシシモ)で終わります。最後のヴィオラの音型は、ソ・ラ♭・シ♭・ラ♭(移動ドでファ♯・ソ・ラ・ソ)となっていて、これは同じく「死に絶えるように」と書かれた交響曲第7番第4楽章の最後、クラリネットの音型と同様です。

演奏時間は約21-29分程度。

 

さて、マーラーの第9番を「かずメーター」で評価しました。

第一楽章 92点

第二楽章 90点

第三楽章 86点

第四楽章 86点

個人的には第9番は内容的には非常に濃いものなのですが、第6番とか第2番のような曲が好きな私にとってはおとなしすぎて、第一楽章で満腹になってしまうのです。

ただし、マーラーの総集編たる第9番はゆっくり腰を据えて聴いてほしい曲です。

さて、次回はマーラーの本当の第9、「大地の歌」についてお話します。

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お勧めのCDです。