交響曲、大好き!

交響曲といっても知られていないものも多いと思います。 皆さんが聞きなれた/聞いたことがない交響曲を紹介していければと思います。

マーラー交響曲第8番 「千人の交響曲」

さて、今回はマーラー最強中の最強、交響曲第8番「千人の交響曲」についてお話します。

すごいですよ、千人ですよ、千人。オーケストラと声楽合わせて千人ですから、ベートーヴェンの第9なんか目じゃないです。

まぁそのくらいすごい圧のある曲であることは確かです。マーラー交響曲の集大成と考えたらよいかと思います。

聴くといきなりのオーケストラと声楽に圧倒されます。その迫力が2部構成の1部終了までガンガン来ます。20数分間畳みかけてきます。

2部になると曲調は落ち着きますがだんだん夢の世界というか神の世界に浄化されていきます。最後に

すべて移ろい過ぎゆく無常のものは
ただ仮の幻影に過ぎない。
足りず、及び得ないことも
ここに高貴な現実となって
名状しがたきものが
ここに成し遂げられた。
永遠の女性、母性的なものが
われらを高みへと引き上げ、昇らせてゆく。

と歌い終わっていきます。

 

この作品はマーラーの「ウィーン時代」の最後の作品で、同時にマーラー自身が初演し耳にすることのできた最後の作品となりました。 第8番の編成は、交響曲第7番までつづいた純器楽から転換し、大規模な管弦楽に加えて8人の独唱者および複数の合唱団を要する、巨大なオラトリオあるいはカンタータのような作品となっています。構成的には従来の楽章制を廃した2部構成をとり、第1部では中世マインツ大司教ラバヌス・マウルス(776?~856)作といわれるラテン語賛歌「来たれ、創造主たる聖霊よ」、第2部では、ゲーテの戯曲『ファスト第二部』の終末部分に基づいた歌詞が採られています。音楽的には、音階組織としての調性音楽からは逸脱していないが、大がかりな編成、極端な音域・音量、テキストの扱いなどに表現主義の特質が指摘されています。

演奏規模の膨大さから『千人の交響曲』(Symphonie der Tausend )の名で広く知られていますが、これはマーラーによる命名ではなく、初演時の興行主であるエミール・グートマンが話題づくりのために付けたものです。マーラー自身はこの呼び名を認めておらず、嫌がっていました

この初演については、マーラーの自作演奏会として生涯最大の成功を収めたのと同時に、近代ヨーロッパにおいて音楽創造が文化的事件となった例のひとつとなりました。

この曲についてマーラーは、ウィレム・メンゲルベルクに宛てた手紙で以下の通り述べています。

“私はちょうど、第8番を完成させたところです。これはこれまでの私の作品の中で最大のものであり、内容も形式も独特なので、言葉で表現することができません。大宇宙が響き始める様子を想像してください。それは、もはや人間の声ではなく、運行する惑星であり、太陽です”
“これまでの私の交響曲は、すべてこの曲の序曲に過ぎなかった。これまでの作品には、いずれも主観的な悲劇を扱ってきたが、この交響曲は、偉大な歓喜と栄光を讃えているものです”

第8番はマーラーの作品中最大規模であるだけでなく、音楽的にも集大成的位置づけを持つ作品として、自他ともに認める存在でした。音楽作品としてきわめて肯定的かつ信仰や生に対する壮大な賛歌であり、マーラーはこの作品を妻のアルマに献げています。グスタフ・マーラーが自身の作品を他者に献呈したのは、これが唯一です

 

1906年の夏、マーラーヴェルター湖畔マイアーニックにある作曲小屋で交響曲第8番を作曲しました。第1部はわずか3週間でスケッチ、8月18日には全曲を完成しました(すごっ!)。翌1907年の夏にオーケストレーションされ、妻アルマに献呈されています。

マーラーの初期構想では、4楽章構成であったそうです。パウル・ベッカーによれば、当初のスケッチは以下のとおりである。

  • 第1楽章 讃歌「来たれ、創造主たる聖霊よ」
  • 第2楽章 スケルツォ
  • 第3楽章 アダージョ・カリタス(愛)
  • 第4楽章 讃歌「エロスの誕生」

このうち第2楽章と第3楽章は、交響曲第4番の初期構想であった「フモレスケ交響曲」のスケッチから、他の曲に採用されなかった断片を使うつもりでしたが、ゲーテの『ファウスト』を歌詞に採用するに当たって、これらは削除、あるいは第2部へ統合されることになったものと見られています。

アルマの回想によると、マーラーは最初の2週間はスランプがつづいたが、ある朝、作曲小屋に足を踏み入れた瞬間に「来たれ、創造主たる聖霊よ」の一句がひらめき、うろ覚えのラテン語歌詞をもとに第1部を一気に書きおろしたそうです。しかし音楽が歌詞より長くなってしまい、マーラーはウィーンから賛歌の全文を電報で入手したところ、送られてきた歌詞はマーラーの音楽にぴったり収まっていたといいます。

実際には、マーラーは6月21日付けの手紙で友人のレールに、ラテン語賛歌の翻訳を手伝ってくれるように頼んでいます。また、マーラーは音楽に合わせて原詩を削除・入れ替えしたり、一部にはマーラー自身が加筆創作してもともと7節だった原詩を8節に拡大しており、アルマのいうような詩と音楽の「神がかり的」な合致があったわけではないようです。これについて、「来たれ、創造主」の賛歌はカトリック教会では聖霊降臨節の晩課をはじめ、種々の儀式にグレゴリオ聖歌として歌われるものであり、マーラーがソイツ語のミサ典書か祈祷書を持っていれば容易に訳文を目にすることができたはずだとの見解があります。このことは、マーラーユダヤ教からカトリックへの改宗自体が宗教的理由からではなく便宜的なものであったことをも示唆するものでもあります。なおドイツでは「復活交響曲」は復活祭に、本曲は「聖霊降臨節」に良く演奏されることもあるそうです。

 

楽曲構成

2部構成。第1部は教会音楽的かつ多声的であり、第2部は幻想的かつホモフォニー的であるが、両部は主題的に緊密に構成され、統一された印象を与えます。演奏時間は約80分です。

 

第1部 賛歌「来れ、創造主なる聖霊よ」 アレグロ・インペトゥオーソ ソナタ形式

オルガンの重厚な和音につづいて合唱が「来たれ、創造主たる聖霊よ」と歌います。これが第1主題で、主音から4度下降し、7度跳躍上昇する音型は、全曲の統一的な動機となっています。交響曲第7番の第1楽章第1主題(主音から4度下降し、6度跳躍上昇)との関連も指摘されています。男声合唱によって推進的な経過句が現れます。第2主題は落ち着いた旋律をソプラノ独唱が「高き恵みをもって満たしたまえ」と歌い、各独唱者による重唱となります。小結尾では、やや懐疑的な旋律や高みを目指すような動機も現れます。

展開部は懐疑的な旋律で静かに始まるが、やがて合唱が第1主題の動機に基づく新しい旋律(譜例4)を勢いよく歌い始めます。二重フーガなど対位法的な展開を駆使してきびきびとかつ壮麗に進み、圧倒的な頂点を築いたところで第1主題が再現されます。

コーダは管弦楽のみで第1主題の動機を扱うが、児童合唱が入ってきて第1主題の動機に基づいて「主なる父に栄光あれ」と歌い、Gloriaの歓呼で高まっていきます。第1主題の動機を繰り返して白熱し、華々しい金管の響き、高揚をつづける合唱で結ばれます。

 

第2部 ゲーテの『ファウスト 第二部』から最後の場

演奏に50分以上を要する場合が多く、1,572小節ある長大な第2部は、旧来の交響曲の構成に則り、アダージョスケルツォ、終曲+コーダという部分に分けて考えることができます。

第1の部分は変ホ短調のポコ・アダージョで、管弦楽と合唱による自然描写の部分とそれにつづく「法悦の教父」(バリトン独唱)、「瞑想する教父」(バス独唱)までです。

第2の部分ではアレグロとなり、天使たち(児童合唱)が登場し、「マリア崇敬の博士」(テノール独唱)を加えて歌われます。

第3の部分では、テンポをアダージッシモに落とし、管弦楽のみでハルモニウムの持続音とハープの分散和音を伴い静かに歌われる旋律に合唱が入ってきます。その後、「罪深き女」(ソプラノ独唱)、サマリアの女(アルト独唱)、エジプトのマリア(アルト独唱)が順次登場し、グレートヒェン(ソプラノ独唱)の短い歌唱を挟んで、先の3人による重唱となります。次いでグレートヒェンが「懺悔する女」として第1部の第2主題、ついで第1主題を回想し、ここでひとつの頂点を築く。

以下はコーダと見られ、「栄光の聖母」(ソプラノ独唱)、「マリア崇敬の博士」(テノール独唱)と高揚したところで、4度下降、7度上昇の動機(第1楽章第1主題)が金管によって現れます。

管の高域や鍵盤楽器の分散和音で静まっていくと、「神秘の合唱」がきわめて静かに歌い始められ、次第に高みに登りつめてゆく。頂点に達したところで、第1部の第1主題が金管の別働隊によって完全に姿を現し、オルガン、全管弦楽の壮大な響きに支えられて金管が高らかに第1部第1主題の動機を吹奏して全曲を結びます。この辺になると身の毛もよだちますよ、本当!

 

さて、マーラーの第8番を「かずメーター」で評価しました。

第一部 95点

第二部 93点

悪いわけがありません。ただクラシックを聴きなれない方にはご注意を第一部のきらびやかな音楽から一転して第二部の始めはかなり静かな展開になるので、ここでくじけちゃう人がいると思います。そこを頑張ると天国に行けます(笑)。

がんばって聞いてくださいね。

いちよう、歌詞もつけておきます。

love-classical-musics.hatenablog.com

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お勧めのCDです。

第一部

賛歌「来たれ、創造主たる聖霊よ」

来たれ、創造主たる聖霊
人間たちの心に訪れ
なんじのつくられし魂を
高き恵みをもってみたしたまえ

慈悲深き主と呼ばれし御身
至高なる神の賜物
それは生の泉・火・愛
そして霊的な聖なる油

(来たれ、創造主よ)

われらが肉体の弱さを
絶えざる勇気を持ち力づけ、
光をもって五感を高め
愛を心の中に注ぎたまえ

(光をもって五感を高め
愛を心の中に注ぎたまえ)

敵を遠ざけて
ただちに安らぎを与えたまえ
先導主なるあなたにならって
われらをすべての邪悪から逃れさせよ。

御身は7つの贈り物*により
御尊父の右手の指にいらっしゃる

(御尊父より約束された尊い者なる御身
人の喉に御言葉を豊かに与え給う)

御身によってわれら尊父を知り、
御子をも知らせ給え。
(両位より出現した)聖霊なる
御身をいつの時にも信ぜさせ給え。

(光をもって五感を高め
愛を心の中に注ぎたまえ。
来たれ!創造主なる聖霊
慈悲深き主と呼ばれた御身
至高なる神の賜物)

天の喜びを贈り給え
大きな報いを与え給え
争いの結び目を解き、
平和の誓いを堅くし給え。

(ただちにやすらぎを与えたまえ
先導主である御身にならって
われらをすべての悪より逃れさせよ。)

主なる父に栄光あれ
死よりよみがえった
聖なる子、そして聖霊
千代に渡って栄光あれ。

 

第二部

ゲーテファウスト』第2部「山峡」から終幕の場

山峡、森、そびえる岩、寂寥の地
 信仰深い隠者たち。
 (山腹に分かれて、岩の裂け目に宿営している)

合唱と木霊

森の木々はこちらへとなびき、
岩壁が重なりあってのしかかっている、
木の根、それは絡みつき、
幹は互いに寄りそって聳え立ち、
奔流は激流に向かってしぶきをあげる。
洞穴、それは奥深く、われらを守る。
獅子は吠えもせず、
親しげに、われらのまわりを、あちこちと歩き回り、
清められたところ、
神聖な愛の場所を敬う。

法悦の教父(上へ下へと漂いながら)

永遠の歓喜の炎、
灼熱なる愛のきずな、
沸きたぎる胸の痛み
昂ぶる神への悦び。
矢よ、わたしを貫け
槍よ、わたしを突き刺せ、
こん棒よ、わたしをうち砕け、
稲妻よ、わたしを貫け、
かくして、そうだ、無意味なものを
すべて霧散させよ、
輝け、久遠なる星、
永遠の愛の核心よ!

瞑想する教父(深い谷底で)

岩壁の断崖が、私の足もとで
深い谷間の上にのしかかって動かず、
幾千もの小川が輝きながら流れいき、
泡立つ奔流が、おそろしい激流へ落ちていく。
まっすぐに、自らの強い衝動によって
木の幹が空中に伸びる
このようにすべてを創造し、すべてを育むのは
全能の愛の仕業なのだ。

森も岩の大地も荒れくるうように、
わたしの周りに荒ぶる轟く奔流
だが、しかし、流れおちていく、優しさいっぱいに轟きながら、
その豊かな水は、深い淵へと流れ込み、
すぐに谷間を潤す使命を果たす。
稲妻はきらめいて落下し、
毒と靄をふところに含んだ大気を
浄化する
これはみな愛の使者であり、告げるのだ。
永遠に創造し、わたしたちのまわりを漂うものを。
その営みが、わたしの内面をも燃え立たせてほしい、
わたしの精神は混濁し、冷えている、
鈍くなり閉ざされた感覚の中で悩み、
強烈に結ばれた鎖に繋がれて、苦しんでいる。
おお、神よ、この妄想を静めたまえ。
光を照らしたまえ、私の貧しい心に!

天使の合唱(高い空中を舞いながら、
      ファウストの永遠となった魂を運びつつ)
霊界の気高い一員が
悪から救われた。
絶えず勤め励んだもの、
その人を私たちはお救いできるのです。
そのうえにこの人には、天上からの
愛が加わったのですから。
祝福された人々がその方を出迎えるのです。
心からの歓迎の気持ちをもって。

祝福された少年たちの合唱(高い山頂の周りを舞いめぐりながら)

手と手を組んで
たのしく輪をつくりましょう。
踊りましょう、歌いましょう
聖なる心を込めて!
神の教えを受けて
委ねなさい
あなたたちの敬う神を
いずれあなたたちは仰ぐでしょう。

若い天使たち

愛の豊かな聖なる贖罪の女たちの
手から授けられたあのバラの花々が
私たちを助け、勝利を勝ち取らせてくれました。
貴くも気高い仕事を成し遂げさせ
この心の宝を手に入れることができたのです。
わたしたちバラを撒くと、悪魔は退き、
わたしたちがバラで打つと、悪魔は逃げ去りました。
慣れた地獄の責め苦の代わりに
悪魔は愛の苦しみを感じました。
あの老いぼれ悪魔の親分でさえも
鋭い痛みで、身内を貫かれました。
歓呼の声をあげよう!成し遂げたのです。

完成された天使たち(アルトソロと合唱)

大地の残した屑を運ぶことは、
わたしたちにもつらいことです。
たとえ、それが石綿でできていようとも、
それは決して清浄なものではありません。
強い精神力が
もろもろの地上の元素を
わが身に引き寄せ集めれば
しっかりと結びついた
霊と肉との複合体は、
どんな天使にも二つに分かつことはできません。
ただ永遠の愛だけが、
精神を地上の束縛から引き放つことができるのです。

若く未熟な天使たち

〔岩の頂に霧のようにかかって
その動きも近々と
霊たちのうごめきを
わたしはいま感じ取れます。
(雲がはっきりとしてきて)
天に招かれた少年たちのにぎやかな群れが、
いきいきと動くのが見えます。〕
地上の重荷から解き放たれて、
寄り集まり、輪をつくって、
天界の
新しく美しい春の装いに
元気づけられ、生気を養っているのです。
この人もまず手始めに、
この子供たちに加わって
次第に増えて完成へと高まってゆくのがよいでしょう。

祝福された少年たちの合唱

よろこんで、わたしたちは、
蛹の段階にあるこの方をお迎えします。
そうすれば、わたしたちも一緒に育ち、
きっといつの日か天使になれましょう。
この方にまつわりついている。
繭だまを早く取って差し上げましょう。
彼はもう神聖な命を得て、
美しく大きく育ちました。

マリア崇敬の博士(最も高く、最も清らかな岩窟で)

ここは見晴らしがよく、何にも遮られず
精神はもっとも高められる。
あそこを女たちが通り過ぎてゆく。
上に向かって漂いながら、昇ってゆくのだ。
その真ん中に、星の冠をおつけになった
崇高で美しいお姿、
あれが天の女王だ。
光輝くのでそれがわかる。
(恍惚として)

世界を支配したまう最高の女王よ
青々と張り広げられた
天空の天幕の中に
あなたの神秘をお示しください。
男の胸を真摯に、やさしく動かすもの、
神聖な愛の歓喜をもって
あなたに向かわせるものを
それをどうか受け取り、ご賞味ください。
あなたが気高いお胸からご命令なさいますと
わたしたちの勇気は無敵となり、
わたしたちの乾きを癒してくだされば、
情熱に熱せられた火もすぐに和らぎます。

マリア崇敬の博士と合唱

この上なく美しい意味をもった聖処女
栄光に輝き崇め奉る御母
わたしたちのために選ばれた女王
神々に等しい御方。
(栄光の聖母 宙に漂い近づく)

合唱

手を触れることのできないあなた様ですが、
誘惑に陥りやすい者たちが、
あなたにお慕い申し上げ、おすがりしますのは
禁じられてはなりませぬ。

弱さに引き込まれたこの女たちは
容易に救うことはできません。
けれど、たれが一人の力で情欲の鎖を
断ち切ることができましょう。
滑らかな斜面の床の上では
たれが足を滑らさないことができましょうか。
(意味ありげな眼差しや会釈、柔らかい愛撫するような
息づかいに、誰が惑わされずにいられようか。)
(栄光の聖母 宙に漂い近づく)

贖罪の女たちと一人の告白する女の合唱(グレートヒェン)

御身は永遠の御国の高みを
天翔け漂い、行きたまう。
わたしたちの願いをお聞きくださいませ。
たぐいなき御身、
豊かな恵みのあなた様。

罪深き女(「ルカによる福音書」第7章37節)

パリサイ人らの嘲りを受けながらも
神へと浄められた御子の御足に、
香油に代えて涙を注いだ
この愛にかけて。
薫り高いしずくを
滴らしたあの器にかけて、
柔らかに尊い御手足を
お拭いした髪にかけて。

サマリアの女(「ヨハネによる福音書」第4章)

その昔にアブラハムが家畜を
連れて行かせた泉にかけて。
救世主の御唇に
涼しく触れ得る水瓶。
その泉から今絶え間なく流れ出て
永遠に澄み、豊かにあふれて、
世界の隅々までも潤し、豊かな清泉。
これらすべてにかけてお願い申し上げます。
エジプトのマリア(『聖徒行状記』)

主の憩い安らいたもうた、
畏くも聖なる場所に。
わたしを寺院の門外へと
突き戻された戒めの御手。
ただひたすらに砂漠で祈り上げ、
忠実に勤めました40年間の懺悔。
わたくしが砂に書き残した至福なる辞世の言葉。
これらすべてにかけてお願い申し上げまする。

3人いっしょに

大きな罪を犯した女たちにも
お側近くに寄ることをお咎めもなく、
懺悔がもたらす功徳をも
永遠のよすがに高めたもうあなた様。
なにとぞこの善良な魂にも
それにふさわしいお赦しの慈悲をお与えくださいまし。
ただ一度自分を忘れただけで、
わが身の過ちすら気づかなかったこの身でございます。

懺悔する女(かつてグレートヒェンと呼ばれたもの。聖母マリアにすがって)

類いなきあなた様
限りない光に包まれていらっしゃるあなた様
どうぞわたくしの幸福をご覧くださいませ。
どうぞ慈悲深いお顔をお向けくださいませ。
むかしお慕い申した方で
今はもう濁りなき方が
あの人が帰っておいでになりました。

祝福された少年たち(輪を描いて近づいて来る)

その方はわたしたちよりも大きくなって
手足も逞しくなりました。
わたしたちの心づくしに、
忠実に報いてくださるでしょう。
わたしたちは人の世の集まりから
早く離れてしまいましたが、
このお方はそこで多くのことを学んで来られたのです。
わたしたちにもきっと教えてくださるでしょう。

懺悔する女(グレートヒェン)

気高い聖霊の群れに囲まれて、
新参のあの方はご自分がどうなったかわからない様子。
新しい生命にまだお気づきではありません。
それでももう神聖な方々に似てまいりました。
ご覧くださいまし、あらゆる地上の絆を
断ち切って、古い衣を脱ぎ捨てました。
そして、あらたに纏った霊気の衣の中から
真新しい青春の力が現れております。
あの方に教え導くことをお許しください。
あの方はまだ新しい光を眩しがっておられます。

栄光の聖母(そして、合唱)

さあいらっしゃい。お前はもっと天空へ昇ってお行き。
お前がいると、その人もついて行くでしょうから。

マリア崇敬の博士(深くうつむき伏して、礼拝しながら)(そして、合唱)

すべての悔いを知る心優しき者よ。
祝福されたその至福の運命に
感謝しながら従う身になるためには、
救いの手の眼差しを仰ぎ奉れ。
すべてのよき心映えの者は
御身に仕え奉らせたまえ。
処女よ、御母よ、女王よ!
女神よ、とわに恵みを与えたまえ。

神秘の合唱

すべて移ろい過ぎゆく無常のものは
ただ仮の幻影に過ぎない。
足りず、及び得ないことも
ここに高貴な現実となって
名状しがたきものが
ここに成し遂げられた。
永遠の女性、母性的なものが
われらを高みへと引き上げ、昇らせてゆく。