ハイドン 交響曲第36~39番
さて、今回はハイドンの交響曲第36~39番についてお話します。
まずは、
交響曲第36番変ホ長調 Hob.I:36は、ハイドンの交響曲で作曲年代は明らかではありませんが、エステルハージ家の副楽長時代(1761-1765年)の曲と考えられています。ホグウッドの交響曲全集では初期エステルハージ家時代(1761-1763年)とされています。
もっとも特徴的なのは第2楽章で、独奏ヴァイオリンと独奏チェロによる二重協奏曲的な部分を持ちます。
初期のハイドンの交響曲は特殊な楽章構成を持つものが多いのですが、本曲ははすでに通常のハイドンの楽章構成を持っています。
第1楽章 Vivace
3⁄4拍子。弦楽器によっておだやかに始まるが、途中でホルンのファンファーレ的な楽句が加わります。型どおり変ロ長調に転じまずが、途中で短調に変わります。展開部では新しい旋律が登場します。
第2楽章 Adagio
変ロ長調、2⁄2拍子、ソナタ形式。弦楽器のみで演奏され、ユニゾンの全奏によるリピエーノ的な部分と、独奏ヴァイオリン・チェロによる二重奏部分が交替します。
第3楽章 Menuetto - Trio
メヌエット主部は明るいリズミカルな曲です。トリオは変ロ長調で、主に弦楽器によって演奏され、途中で短調に転じます。
第4楽章 Allegro (Presto)
速度指定は筆写譜によって異なります。
2⁄4拍子、ソナタ形式。第1主題は上昇分散和音により、提示部後半は弦楽器のトレモロが中心になります。
次は、
交響曲第37番ハ長調 Hob.I:37は、ハイドンの交響曲ですが、37番という進んだ番号が与えられていますが、実際にはハイドンの交響曲の中でもっとも時代の早いものの1つと言われており、チェコのチェスキー・クルムロフで発見された筆写譜には1758年と記されています。ウェブスターは、一般に作曲されてから第三者による筆写譜が出現するまでに1年ほどかかるため、1757年ごろの作曲としています。おそらくボヘミアのルカヴィツェ(今のプルゼニ州の村)でモルツィン伯爵に仕えていたときの作品と考えられています。
後のハイドンの交響曲と同様に、両端の楽章が速い4つの楽章から構成されていますが、内側の楽章は第2楽章がメヌエット、第3楽章が緩徐楽章になっています。これはやはり初期の交響曲である交響曲第15番、交響曲第32番、および交響曲「B」(108番)と共通しますが、中期以降では交響曲第44番と交響曲第68番にしか見られません。
第1楽章 Presto
2⁄4拍子、ソナタ形式。提示部の途中で突然ト短調に転調します。ごく短い展開部の後、提示部と大幅に異なる再現部が現れます。
第2楽章 Menuet - Trio
メヌエット主部は付点つきリズムを特徴とします。トリオはハ短調で、弦楽器のみにより演奏されます。
第3楽章 Andante
ハ短調、2⁄4拍子、ソナタ形式。弦楽器のみで演奏されます。
第4楽章 Presto
3⁄8拍子。短いソナタ形式の曲です。
続いて、
交響曲第38番ハ長調 Hob. I:38はハイドンの作曲した交響曲で自筆楽譜が消失しているため、正確な作曲年は不明ですが、当時ハイドン作品の楽譜の収集に力を入れていたゲットヴァイク修道院(英語版)の所蔵楽譜目録に「1769年に購入した」という記録があり、それ以前に作曲されたものと考えられています。ホグウッドのハイドン交響曲全集では1767年ごろの作曲とされています。
第2楽章で第1ヴァイオリンと弱音器付きの第2ヴァイオリンがエコーのような効果を生み出しているところからエコー(Echo)もしくはこだまという愛称で呼ばれることもあります。
ハイドンのいわゆるシュトルム・ウント・ドラング期の交響曲の1つとされることもありますが、その一方で緩徐楽章が弦楽器のみである点や、独奏楽器が協奏曲的に活躍する点は初期の交響曲と共通します。
同じハ長調のカンタータ『アプラウスス』(Hob. XXIVa:6、1768年)の序曲として本曲の最初の2楽章を使っている演奏があります。
第1楽章 Allegro di molto
2/4拍子、ソナタ形式。上昇分散和音によるにぎやかな第1主題を持ちます。展開部は主に第1主題によりますが、後半急に弦楽器だけになり、ヘ長調の新しい旋律が現れます。
第2楽章 Andante molto
ヘ長調、3/8拍子、ソナタ形式。管楽器は使用されず弦楽器のみで奏されます。弱音器を付けた第2ヴァイオリンが、弱音器なしの第1ヴァイオリンの音型を1小節遅れてエコーのように反復するのが特徴的です。
第3楽章 Menuet - Trio: Allegro
メヌエット主部は普通だが、トリオはヘ長調で、オーボエのソロが特徴的です(ホルンは休み)。
第4楽章 Finale: Allegro di molto
2/2拍子、ソナタ形式ですが、対位法的な進行が多い。時折はさまれるオーボエのソロが協奏曲的な趣を与えています。
最後に、
交響曲第39番ト短調 Hob.I:39は、ハイドンが1760年代後半に作曲した交響曲ですが、正確な作曲年代は議論が分かれています。
この交響曲には自筆原稿が残っておらず、作曲年代は学者によって意見が分かれます。1770年に書かれた筆写譜が残っており、エントヴルフ・カタログでは第2ページに現れます。ランドンは1768年ごろの作曲としました。これに対して、本曲に4本のホルンが使われていることから、ゲルラッハやフェーダーらはエステルハージ家に4人のホルン奏者が雇われていた時期から考えて、もっと前の1765年から1766年はじめの作曲としました。大崎滋生はホルン4本といっても交響曲第31番のように4本のホルンがすべて同じ管長を持ち、それぞれが名人芸を見せる曲と、本曲のように短調の曲のために異なる管長を必要とした場合では異なるとして、1765年説を疑問としています。
1768年に作曲されたとすれば、この曲はハイドンのいわゆるシュトゥルム・ウント・ドラング期に作曲された、古典派では数少ない短調の交響曲の一つであるということになります(この時期には他に26番、44番、45番、49番、52番が短調)。1765年説を取れば、ハイドンがまだ副楽長であった時代の作品ということになり、シュトゥルム・ウント・ドラング以前の作品になりますが、この時代にはやや特殊で成立事情に問題のある交響曲第34番以外は短調の交響曲は書かれていません。
おそらく本曲に影響されて、ト短調による一連の熱情的な交響曲がヴァンハル(2曲)、ヨハン・クリスティアン・バッハ(作品6-6)、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(交響曲第25番 K.183)によって書かれており、とくにヴァンハルとモーツァルトは4本のホルンの使い方でも共通しています。ただしヴァンハルの曲はハイドンより前に書かれた可能性もある。
筆写譜の中には終楽章に「嵐の海」(Il mare turbito)という題が書かれたものがあるそうです。
第1楽章 Allegro assai
4/4拍子。主題の間に2度の休止が挟まれることで劇的な効果を高めています。同じ動機を元に展開されます。展開部は対位法的に絡み合い、更に切迫します。
第2楽章 Andante
変ホ長調、3/8拍子、ソナタ形式。平行調の下属調をとる調選択はこの時期には珍しいものです。弦楽器のみになるが、終結を除いて上2声、下2声がユニゾンとなり、曲は全体としてほとんど2声部で進行します。刻むような運動の中で強弱が対比されています。最後に6小節の短いコーダが続きます。
第3楽章 Menuet - Trio
ニ短調とハ短調を経過する主部は、ヴァイオリンとオーボエのユニゾンで淡々と歌われます。トリオは変ロ長調でオーボエとB管ホルンにより朗々と歌われます。
第4楽章 Allegro di molto
4/4拍子、ソナタ形式。第1主題は内声部の刻みの上を広い音域のアルペッジョで跳躍します。急速なテンポのまま音階や跳躍など多くの要素が凝縮され、劇的に終わります。
さて、かずメーターですが、
第36番 83点
第37番 82点
第38番 84点
第39番 83点
この辺は本当にクオリティが高いですよね。
聴いていてある程度の長さなので聞き飽きない。
また、曲もいろいろ工夫されているので興味深いものが多いです。
音楽の勉強するならこの辺の曲を勉強してから、ベートーヴェンとかに行くと分かりやすいと思います。